昭和45年12月05日 朝の御理解
御理解 第3節
「天地金乃神と申す事は、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼致し、前々の巡り合わせで難を受けおる。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。」
天地の親神様の悲しい迄の願いが、この度生神金光大神をとおっしゃっておられる。生神金光大神という又とない、いわゆる取次者を得られて、初めて神様の心の中に少し希望が出来てこられた、光が見えてきた。これからは金光大神の取次によって、少しずつでも本当な事が分らせてもろうていく道が開けてくるぞと。末々迄も繁盛致す事、氏子ありての神、神ありての氏子。
いわゆる神と氏子との、あいよかけよの道が開けていくぞと。神も立ち氏子も立行く、いわゆる上下立つやうに致すという、御理解第三節はだいたいそういうような意味を持っておると思うですね。悲しい神様の願いが、言うならこの度金光大神を差向けと、この度金光大神を知られる事になり、金光大神を頼んで本当の事、だから本当の事ではないという事、いわゆる嘘の事考え違いをしておる事、という事をここでは天地の間に氏子おって、おかげを知らずと、これも大事なんです。
次に神仏の宮寺氏子の家屋敷、皆神の地所とそのわけ知らず、日柄方角ばかり見てという事は、言わば人間の思い違い考え違いそういう生き方では、真の幸せの道は開けないという、大きな考え違いをしておるという事なんですね。例えば、お宮様であろうが、お寺さんであろうが、その家屋敷という、その地所というものが、天地の親神様のものだというう、そんな小さい意味の事じやないわけですね。
自分のもののように思うておるという考え違いなんです、ね。しかも日柄方角を見てみる位な事で、人間が幸せになるかのような思い違い。おるとまで言うておられます。それが、この度金光大神差向けと仰られるところに、神様のかすかな願いと、いわゆる神様が希望が、いわば出来てこられた。そして上下立つように致すと、いわゆる氏子ありての神、神ありての氏子というような有難い生き方を願っておられる。
氏子ありての神、神ありての氏子と。
先日からある方が、「お父さん話がある」と言う息子が。「何か」ち言うたら「あんたがもう合楽、合楽ち言うちから、合楽にばっかり参っとるなら私どん親子三人連れ、別れたっちゃよかばの」ち言うた。あんまり合楽、合楽と言うて参るから、夫婦と子供が一人おりますが、親子三人別れたっちゃよかと。言わば六十の坂をいわば越えた老夫婦二人、ほうからかけて出たっちゃよかち。そこでならお父さんとしては、もう別れるなら別れたっちゃよかぞと、俺は信心をゆるめはせんぞという程しの元気もない。
そこでまあそう言うからという、まお伺いとも願いともつかん、願いをなさった。それでまあ子供の言う様に子供が、ま勿論忙しゅうして親を頼っとるから、そういう意味もあろうから、親が子供の願いにも添うていきながら、段々子供にも分って貰うより他になかのと言うて私は申しておりました。大体お父さんは体が悪い。本当の体じやない。本当に神様のおかげを頂いとるから、まおかげを頂いておるというのである。
そこでま子供の気持に添うようにというので、それこそ一生懸命まあほんとに疲れにやええが、病気でもせにゃよかがと思う位にやはり子供の言う事に添われる事になってきた。ところが先日も、もうそれこそ日が暮れる迄、外の仕事を一生懸命されて、それが風邪の元になってやすみつかれてしもうた。昨日その息子がもう私が御祈念を終わって、終らせて頂いて下ろうとしよりましたら、どこどこ迄行ったからと言うてお参りをして来た。お父さんの事をお願いに来たなと私は思った。
そしたら自分の事と嫁ごが少し眼が悪いからどうぞお願いして下さいと。私はもうそん時にもう本当に、親ちやこんなにも悲しいもんだろうかと思いましたですね。「お父さんはどうの」ち「はぁ寝とります」どうぞお願いして下さいとも言わん。ね、これはまあ、親と名のつく者の定めかもしれませんね。親が子の事を思い願う。私は、今日の御理解三節からね、そういうようなものを感じますですね。
どうしてそういう事になるのかと。それこそ、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、皆神の地所、いわゆる本当な事を知らない。本当な生き方を知らない。本当な事が分っていないから、そんな事になってくるのだと。まあ、私は本当に悲しゅうなった。そしてまあ、自分の事を思うてみた。これはやっぱり私だって、そうだった。やっぱり子供ん事やら家内の事のほうが本当の事言うと、いわゆるぎりぎりのところ、親の事よりもやはり考えておる、思うておる。
そげなこつ言うなら、私どん、家別れするばのとは言わんじゃったけれども、まあ似たりよったりの事が言えるのじやなかろうか。親と子との、言うなら嫁と姑とのすり合わせがうまくいかんと、ね、やはり親の方は置いて、そんなら別れようかといったやうな考え方をみんながする。それが段々、信心が分らせて頂くようになり、いよいよ何かのところに行きづまったりなった時にです、いわゆることが出てきたというのが、これは私の生き方に於ても同じ事が言える。
昨日申しましたその決してその息子さんが、悪人でもなからなければ親不孝でもない。そういう事もあってからこっち、何かえらい親に機嫌をとる。お参りするちいうなら、善導寺迄送ろうかちいうごたる風にその言うてくれる。ね、だから、ここにお参りして来んでもない。けれどもやっぱり、ぎりぎりのところはです、やはり親の事より家内の事が先だといったような、これはしかしまあ、誰でもそうじやなかろうかと。
私共もやっぱそういう、ま言うなら考え方に似たもの、例えば私が<北支三界>迄も参りました時にも、これは勿論立身出世という事もですけれども、ね、少しでも親に喜んでもらいたい、楽させたいといったような思いが、やはりその半ばを占めておった。思いの中に。そして引揚げて帰って来て初めて分った。ね、余りにもみじめな生活であった。このままもし終るとするなら、もう本当に眼も当てられんと思うた。
いわゆる食べるに食なく着るに衣なしとゆう、ああゆう終戦直後の混乱した時代と同時に、そういうこんぱくした時ですから。本気で初めてこの親の為に苦労しよう、本気でこの親の為に本気で信心しよう。これはもうそれこそ一生懸命のものであった。言うならば命がけであった。命がけということはね、私は一生懸命になる事だとそのことに。昨日の朝の御理解を皆さん聞いていただいた。ね、
「元日や、何はなくとも親二人」なる程、私はその時分親二人、けれども私には、そういうそれよりかもっと深刻であった。まあ、何はなくとも親二人という、まあ、どうやらこうやら正月がこせるという、そこにはゆとりがあって初めて、ま、親二人であり、ね、しかも何とはなしにです、大した事は出来んでも、親に着せる事も食べさせる事も、まあまともな事が出来た程度の事ではなかろうかと、私は思う。
ところが私の場合、それが出来なかったんです。だからもう親二人元気であるというだけでは余りにもみじめだった。そこで神様に願うた事も、やはりその事であった。もし両親が亡くなりましたそのあくる日から、又元のもくあみに戻ってもいいと、私は思うた。だからこの親が元気である間に喜んでもらい、安心してもらえれるおかげを頂かせて下さいというのが、私がもうそれこそ一心になった信心の動機はそれであった。
そんなことをね、朝のご祈念に思わせて頂きよりましたらね、思うてさせて頂きよりましたら、私はなんて・・?流行歌に、あれなんじゃったかな、命あげますかなんかという、歌がありますね、命あげますだったかな、ね、その歌を頂いた。親に安心してもらいたい、親に喜んでもらいたいという一念がね、一念に燃えたという事、そこに命をかけた。私がおかげを頂いたのは、もう絶対それです。ね、いわゆる親に安心してもらいたい、親に喜んでもらいたい、この一念。
誰だって親に不孝しようとか、親を心配させようとか思う者は有りません。今、一番初めに、ね、ある方の事を例にとって申しましたやうに、その親子がならいつも犬猿の仲で、いつも親子喧嘩ばっかりしとという事では決してない。子供としては思い余って、お父さん、相談があるとこう言うたのに違いはない。お父さんがそれを聞いて、言うなら素直に、今度は息子の言い文にまかれようとしたら、言わば息子が機嫌とってくる位な仲ですから、まあ、言うなら普通である。
この度、生神金光大神を差向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせと、その理解申して下さる事は、人間の本当の生き道、ね、本当の生き方。頭がようて勉強が出来れば幸せになると思うたり、この世は金次第だからお金さえ儲かればとか、その為にはそれこそお金を儲けるためには、一生懸命働きもするが、どげなこつでんすると、ね、いわゆる見当違いな働き方をするという事。
その見当違いな働き方をするのではなくて、ね、本当な生き方、それを金光大神は身をもって示された、いわゆる金光大神の生きられ方というのである。その金光大神の生きられ方がです、ね、天地の親神様の心に添うという事に、ね、親の思いに添わしてもらうという事に命をかけられた。立教神伝を受けられ、それをいろんな理屈とか文句とかをおっしゃらずに、それをひた受けに受けておいでられた。
私は普通一般の親孝行というのではなくて、ね、その親孝行なら親孝行の事にその命がかけられるという程しのです、何かそこにきっかけが出来たらね、私は本当にそこにおかげを頂かせてもらわなければならないと思う。天地の親神様のお喜び頂ける事の為に、御安心を頂かして頂く事の為に、思いも変ってくる願いも変ってくる。その事に言わば、命をかける。そこからね末々繁昌致す事というおかげになってくる。
氏子ありての神、神ありての氏子という事になってくる。そこ迄いきません事にはね、結局やはり親はやはり悲しい、親悲しいもの、ものということだけになり、子供は、親のもんな、は子のもの、子のもんな、子のもんといったやうな事になってくる。親のものは子のもの、子のものは親のもの氏子ありての神、神ありての氏子という事にならず、上下立つような事になってこない。
それにはどうでも私共がですね、考え違い。なる程親に一時間でも二時間でも余計に働いてもらや、自分が楽になる。けれどもねそういう子供が親に対する考え方はね、言うならば本当ではないのだと、というところに基づかせてもろうて、そこを分らせて下さろうとする働きが、言うならばお気付け。今度のその人も、お父さんが寝られたら、それけんと言うてから、そん寝とるとをひっぱり起してからあんた、畑に出て来んのという程しの子供じやない。そげん親不孝じやなか。
親は布団の中で苦しまにゃならん、と言うて、さあ子供守りいっちょしてもらう事も出来ん。さあ、御飯は枕元に持って行ってやらにゃならん。私はこれは正しく、お気付けだと思うですね。神様はやはり、そのようにしてでもです、子供に、言うなら本当の事を分らせようとして下さる。それが分らない時が悲しいのである。昨日、夕食終っとりましたら、病院から泰子が帰って参りました。
まあ、大変おかげを頂いて、家内も昨日は一時の御祈念に出てまいりました。大変おかげを頂いて、昨日午前中に、主治医の先生があの回診された時に、「これはもう、来週は退院してよかかもしれん」ち言われたと。家内としても退院するという事も嬉しい事、有難い事だけれどもです、丁度、言うならば昨日は四日から四日迄のひと月間の、言うなら満願の日である。
その満願の日にです、もう来週は退院してよかろうように言われた事が有難かった。と感激して、ここでお届けしておりました。とゆう程しに、おかげを頂いた。皆さん方の一生懸命のひと月間のいわゆる成果とでも申しましょうかね、その信心に対する答と言うか、そのように答が出てきた。その事を泰子もやっぱり申しましてから、次に言う事です。幹三郎が、「どうしてお父さんは来てやんなさらんとじやろうか」ち、みんなが来てもらうとに、お父さんだけはどうして来なさらんとじやろうかと。
だから、僕に会うとがいけんのならば、あの部屋を見るだけでもよいけん来てもらってくれち言うたと。部屋がよっぽどきれいになったとを親に見せたいちゅう訳です。それけん、「お父さん、どうしてですか」と泰子が言うとですよ。「どうしてちゅう事はないよ。それは私もおかげ頂かんならん。幹三郎もおかげ頂かんならんからの事よ」、と、「どうしてですか」ち。
なしや幹三郎も一生懸命生懸命思いよろうが、お父さんのことを。ね、お父さんお父さんと思いよる。私も一生懸命幹三郎、幹三郎と思いよる。その思いと思いが引き合うのだと。ね、そげん居ごこちのよか所におるならば、もうお父さんにも時々は来てもらう、お母さんなずっと側におってもらうなら、もう帰るごつねごつだんなる。けれどもさあそのお父さんに会いたいというその一念が、神様におすがりする事になる。
一日でも早うとこう思う心、私も又、実際言や会いたい。だからもう昨日も、そのもう顔の具合でも、泰子がいろいろと説明してくれるんです。こげな風になっとる。だから私も一遍、この眼で確かめたい。けれどもやはり問題は、おかげを受けなければならん、親が子を思う一心の思い、子がまた親を思う一心の思い、その一心の思いが、神様へ親子共々に向けられる。
だから医者がびっくりされる程しの、言わば全快間近いというところ迄、おかげを蒙ったのである。親の事は子が頼み、子の事は親が頼み、ね、だからそういう何かのね、きっかけができると、そのようなものを親子というのを大体持っている、あるのだ。だから、ま、大きな事言うたり、大きな態度をとったり、横着言うておる間は、まあまあおかげを頂いておるということにも言えん事はない。
けれども何かの機会にはです、ね、そこに何かそこに思い当る事があったらです、いわゆる本当の事を分らにゃいけん。その本当の事のひとつにです、昨日からも申しておりますようにです、そのやむにやまれん切実心がです、ね、親が喜んでくれる事ならば、親が安心してくれる事ならば、まあ体を張ってでも修行させてもらおうといったようなものが出来てくる。そういう心が神の機感に適う。
それが神の信頼心、神から、ね、いわゆゆる御神徳を受けるというのはね、只、親不孝してはならんという事が分っておる位の事ではない。ね、その親が喜んでくれる事ならば、安心してくれる事ならばです、ね、どげな修行でも、いっちょさせて頂こうというやうな心。そういう私は心がです、頂ける事を願いとしなければならん。御神徳を受けたい、神様の御信用が受けたい、ならばいよいよです、天地の親神様、親神様のお心に適う、言うならば親神様のお喜びを頂ける事。
又安心をして頂ける事の為に精進しなければならん。それにその精進がどこに置いてあるか。只自分の都合だけ、親を使や、使うだけ儲かる。親もまあだ元気なうちは、子供の為に一生懸命働かせる。いわば馬鹿らしかと言った様な考え方がね、本当でない事をひとつ分らせてもらうというかね。神仏の宮寺氏子の家屋敷、ね、みんな神様の御地所であると、その理を知らずという事は、ね、本当の事ではないという事。
本当の考え方、いわゆる人間の本当の生き方ではない。本当の生き方はいろいろ有りましょう、説明すると。けれどもその根本になるもの、本当の生き方、親が子を悲しい迄に思う、その思いをです、受けて子供が又、親の事を命をかけて思う。これは本当の事の根本になるもの。それを理解申して聞かせと、こうおっしゃるように、金光大神は御自身がそこを通られて、そこのところを私共に理解申して下さるのですから、ね、おかげを受けたら、理解を受け、理解を受けたら、ね、
本当の生き方にならせて頂くところの、いわゆる信心、真の信心である。真の信心にならしてもらわなければならん。末々、繁盛致す事の為にも、ね、又は、親と子が拝み合うていけれる事の為にも、ね、双方が有難く立行く事の為に上下立つように致すとおっしゃる。そこに天地金乃神様の理想と言うかね、氏子にかけられる願いというのが、そこに有るのでございます。為にまず、神様の心が分り、ね、親の心が分り、初めて本当の神信心が出来る、本当の親孝行が出来る。
親の心を子知らず、ね、神の思いを人知らずと仰せられる。信心はそこが分る事。神様の思いが分る事。親の心が分る事。本当に分るところから、ね、そこに命がかけられるそういう生き方、ね、私は金光大神の生きられ方というのは、それだと思う。本当な事が分っての生き方、そこでものの見方、考え方等というものが全然変ってくる。お父さんが一生懸命参ってもらうから、おかげで元気でおるというような見方。
それをあんまり合楽、合楽ちゅうて参るごたあるなら、家別れするばのとゆうごたる風な見方になってこない訳なんです。もじっちゃんああたしっかり参ってくれんのと、わてどんが後はぼちぼちやるけんでと。そげん言うちから合楽にずうっと入りびたっておる訳でもなか、何時間か言わば時間を使われるだけの事なんだ。そしてその合間に加勢をされるなら、それこそ特別のお手伝いでもしてもろうたように、本当に今日はおじいちゃん、あんたがやってくれたけんで、はかいったちちから喜ぶ生き方。
そういう生き方の中にです、もう本当に親と子の立ち行く道と言うかね、本当のおかげの開けていく道がそこにある。本当の生き方、本当の生き方が分るとです、そういう見方が出来るようになる。どれだけ金を儲かっても、ね、金の為に難儀をするやうな金をせいぜい貯めていこうとするような生き方はもう間違いである事をひとつ悟らせてもろうて、ね、本当に神様が下さるもの。
久富繁雄さん、言い方じゃないけれども、ね、お金が欲しい、けれどもそれはどこ迄もね、親先生の信心の裏づけのあるお金が欲しいと言うておられます。私が働き出えた金じやいかんちゅう。そういう私は生き方というものをね、ひとつ本当なところへ目ざさせて頂いてのひとつ信心にならせて頂く。そういう信心を目ざす事が真の信心を目ざす事であり、そういう生き方にならして頂く事が真の信心をさせて頂く者の生き方、いわゆる本当の生き方を、教祖金光大神は教えておって下さってあるのですよね。
どうぞ。